074 戸塚ヨットスクール創設者の「体罰を語る」動画を見た感想
正直いうと炎上するかなって言うぐらいの事を喋りました。
うーん、説明は難しいんだけど
暴力と体罰の違いはなにかと問われると、表面的に大した違いが無いのが実情かと思います。
ラジオ内でもお話してますが体罰も暴力という大枠に含まれる、という風に感じます。
例えば教育の中に体罰を含んだとすると下記のような言葉になるかと思います。
- 注意や指摘をする際に有形力を行使した。
- 態度や姿勢にやる気を感じられない、向上心が見られない場合の指導として有形力を行使した。
有形力っていうのは殴る蹴るといった物理的な力を加える事です。
つまりは体罰をその時々でげんこつなのかビンタなのかを変えますよって意味として使いました。
さて、上記の教育内容から体罰を抜いてみます。
- 注意や指摘をした。
- 態度や姿勢にやる気を感じられない、向上心が見られないので指導した。
おかしい点がありますか?
教育の中にわざわざ有形力=暴力を取り込む必要を感じません。
言って伝わる事の前にわざわざ有形力を挟まないで欲しいのです。
そして、この有形力は行使する人間によって大小が変わりますよね?
つまり再現性が難しく、また個人差が生まれやすいためマニュアルの作成が困難です。
同一の指導ができない事になります。
また体調や機嫌にも左右される可能性があります。
同じく行使される側の人間(受け手)の強弱や体調にも左右される事が考えられます。
体罰=暴力は言い過ぎだとしても、教育としての体罰が認められない・有形力を行使してはならない理由は上記の通りです。
ここまで体罰は不要である理由を述べました。
もちろん優しく言っても聞かない子供やテンションが上がりすぎて暴れて聞く耳を持たない場面などもあります。
子育てをしていて嫌と言うほど直面してきました。
ただ有形力を行使しなくても止められますし、子供に何が間違いであったのか考える時間を与えることはできます。
有形力とはその性質上、抑止力としての即効性があるので行使する側が楽な「逃げ」なのです。
つまり教育方法の好き嫌いです。
感情論です。
時間をかけて教育する事からの逃げです。
言葉として伝えられないのは感情が高ぶっていて冷静ではないからです。
深呼吸して筆舌を尽くしてください。
それができないのであれば教育者として失格です。
何かを教える事などできないでしょう。
暴力で人の芯を折り曲げることしかできません。
折り曲がった鉄は二度と同じ形にはなりません。
歪みます。
タマキミツルの経験から言わせてもらうと
口で言えばわかる事を、わざわざ注意するために有形力を行使することは無駄、どころか真逆の効果を生みます。
反感しか生まれません。
こんな奴から何が学べるというのか、と考えます。
正しい事を教わっても正しいと認知できなくなります。
何で言う事を聞かないと行けないのか、という思考になります。
「ありがとう」なんて思いません。「早く死ね」と考えます。
間違える→殴られる→痛い→正しい事を教わる→ショックが大きい間違った事と殴られたことがセットで記憶される→正しい事を覚えていない→間違える→また殴られる→段々記憶から間違った事も消えて痛みのみ記憶に残る
だから体罰はなくしたほうが良いと考えています。
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